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よもやまコラムYOMOYAMA COLUMN

航空・科学技術

兄弟チームがあちこちに:航空黎明期(3)モラーヌ兄弟、コードロン兄弟、ファルマン兄弟

P190627 Morane Saulier.jpg前回に続き航空黎明期にヨーロッパで航空機開発に取り組んだ兄弟チームの紹介の続きです。今回は3/のチームから。これで締めくくりにするのでちゃっちゃと進めます。

3/モラーヌ兄弟:兄レオン(1885生)、弟ロベール(1886年生)
兄レオンは飛行機乗りとしても有名な人物。ただし1918年にスペイン風邪で命を落としてしまう。どちらもパリ生まれのフランス人で生家はポンプ製作所を営んでいたという。兄レオンは少年の頃から機械に興味を持っており、12、13歳の頃には三輪の原動機付き自転車を製作し、後部に座れる車輪付き箱のようなものを牽引し、そこに弟を乗せて走ったそうだ。

飛行機製造業では、兄弟は1911年にブレリオXIを設計したレイモン・ソルニエとともにモラーヌ・ソルニエ航空機社を設立する。(それ以前にも他のコラボレータも参加した会社を設立したりしているが、一番有名なのはこのモラーヌ・ソルニエ社である。)このモラーヌもソルニエもエール・フランス航空の前身の1つである航空便社(CMA)の出資者である。モラーヌ・ソルニエ社は2度の大戦を経ても航空機を作り続け、最終的には1960年代にスッドゥ・アヴィアシオン社(Sud Aviation)の傘下に入る。そのスッドゥ・アヴィアシオン社とはその後国が航空機業界を総まとめしようと作ったアエロスパシアル社(現エアバス・グループの前身)の構成要素の1つであった。

4/コードロン兄弟:兄ガストン(1882年生)、弟ルネ(1884年生)
彼らも航空黎明期から飛行機製作、航空業界の発展に励んだ兄弟。コードロン機の製造の他、特に1909年、世の中で初めて飛行機操縦技術を教え訓練する、「コードロン・パイロット学校」を作ったことでもその業績が評価されている。これまで紹介してきた兄弟らは既に家業として何かの製作を営んでいたが、このコードロン兄弟は少し違う。彼らはフランス北部、ベルギーとの国境に近い地方の開拓農民の家に生まれたそうだ。コードロンもエール・フランス航空の前身の1つである航空便社(CMA)の設立に参加している。

5/ファルマン兄弟:兄1 リチャード(ディックと呼ばれる、1872生)、兄2 アンリ(英名でヘンリー、1874生)、弟モーリス(1877年生)
日本で「ファルマン機」といえば、1910年、代々木で日本初の飛行機の飛行デモンストレーションが行われた際グラーデ機とともに利用された話を思い出すあろう。それを作っていたのがこのファルマン兄弟たちである。彼らはここまでに紹介したブレゲ、ヴォワザン、モラーヌ、コードロンらに比べは少しだけ世代が前で、ライト兄弟やブレリオ、車のルノーたちと同じ1860年代後半から1870年代の生まれである。

そしてもっと変わり種な点は、父親の職業と国籍である。ファルマン・パパは英国人でメディア業界に勤めるパリ在住の特派員であった。そしてフランス人女性、ファルマン・ママとの間に子供を作り、兄弟らはフランスで生まれることになる。
そんな背景があったためか、アンリは最初はHenry(ヘンリー)という英語式の名前を使っていたが、後に(1937年に正式にフランス国籍も取得したからとも言われている)Henri(アンリ)という表記が主流となっている。

飛行機時代以前、アンリは自転車レースのチャンピオンであり、また自動車レースにも熱中して実績を出している。弟のモーリスも自動車レースのパイロットとして、名を馳せている。そしてその頃から車のルノーともコラボしていることが記録されている。

一方大きい兄さんのディックについて見てみると、例えばリオ・デ・ジャネイロの最初の電気推進トラム事業に貢献するなど、飛行機以外の分野にも長けていたようだ。

さて、ここまで度々出てきた自動車業界のルノー。そう彼らも兄弟で事業を進めてきた。フェルナン(1864年生)、マルセル(1872生)、ルイ(1877)たちである。

文:浜田ポレ 志津子(フラスペ)

No:Y20190627-01