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よもやまコラムYOMOYAMA COLUMN

航空・科学技術

ローラン・ギャロスは飛行機乗り(前編):テニス全仏オープンの会場の名前

P20200908 Tennis.jpgテニスの全米オープンでの大坂なおみ選手の素晴らしい活躍のニュースが流れました。そこで今回のよもやま話はテニスつながりにします。テニスの全仏オープンが行われる会場の名前になっているローラン・ギャロスについて紹介します。

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、知らなかった方もポチッといらっしゃるでしょう。そう、テニスの4大大会、グランドスラムの1つ、全仏オープンが開催されるローラン・ギャロス・スタジアムに名前がついているローラン・ギャロスは20世紀初頭に活躍したフランス人の飛行機乗りでした。


少年時代・学生時代

ローラン・ギャロスは1888年10月6日、フランスの海外県レユニオンのサン・ドニの町で生まれます。レユニオンとは、インド洋の、アフリカ大陸から東に行ったマダガスカル島のそのまた東にある島です。この誕生日の日付がローランにまつわる話に何気な切なさを盛るポイントになるので、ちょっぴり覚えておいてください。

少年ローランはレユニオンで成長しますが、1900年、両親はローランの今後の学業のことや社会をもっと学ばせようとローランをフランス本土に送ります。本土に渡ったローラン、なかなか多才で、勉強も頑張ってHEC Parisという名の知れた学校に進学もしますし、自転車やラグビーなどスポーツも得意だったとのこと。


飛行機に魅せられて

卒業後はまず自動車販売会社に勤め、その後自身で自動車の会社を経営します。スポーツカーに渾身し、そこでは2座席の車を開発したりしました。しかしその後ローランの興味は飛行機に移っていきます。20代始めの頃です。まだパイロット免許を正式に持っていないのに各地で行われる飛行イベントに参加した話や、アルベルト・サントス=デュモンのラ・ドゥモワゼル機のレプリカ機を購入していたが、サントス=デュモンが自身の病気のために一線から退く時期に、正機をデュモンから託され購入した、などの話があります。

サントス=デュモンは飛行機製作もしましたが、自らも飛行機乗りとして航空黎明期に活躍しました。ブラジル出身ですが10代後半にフランスに移住しています。フラスペ ・よもやまコラムの「喧嘩のないよう、アルファベット順に:最初のパイロット免許授与」
https://www.france-space.com/column/air/post-3.html
で紹介した、アエロクラブ・ドゥ・フランス(ACF)による最初の免許授与の際、免許番号12番をもらっています。




P20200908 Roland Garros 1.jpg

飛行機にはまったローランはその後飛行機界で数々の記録を打ち立てていきます。1912年、アエロクラブ・ドゥ・フランス(ACF)の飛行大会でグランプリになったり、飛行高度最高記録を作ったり、一番多く引用されていると思われる例は世界初の飛行機による地中海横断でしょうか。1913年9月、フランスの、映画祭で有名なカンヌの近くの町フレジュスから、チュニジアのビゼルトの町までの約780kmの飛行に成功しました。

後編につづく

文:浜田ポレ 志津子(フラスペ)

No:Y20200915-01