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よもやまコラムYOMOYAMA COLUMN

航空・科学技術

兄弟チームがあちこちに:航空黎明期(2)ヴォワザン兄弟

P190626 CNAM BREGUET.jpg前回に続き航空黎明期にヨーロッパで航空機開発に取り組んだ兄弟チームの紹介です。前回は1/ブレゲ兄弟で終わってしまったので今回は2/のチームから。

2/ヴォワザン兄弟:兄ガブリエル(1880年生)、弟シャルル(1882年生)
ヴォワザン兄弟とは、1907年ヨーロッパで初めて航空機製造会社を設立した人たち。文献によっては「世界初の飛行機メーカー」としているものもある。また当時の多くのパイロットがヴォワザン機をかって飛行レースに参加していた。後述のアンリ・ファルマンもそのうちの1人である。また第1次世界大戦でもヴォワザン機は多く使われている。

前回のブレゲ兄弟の生年をみると兄のルイ=シャルルが1880年、このヴォワザン兄弟の兄の方のガブリエルと同じ年生まれである。またブレゲ兄弟の弟ジャックが1881年生まれ、ヴォワザン兄弟の弟が1882年、後述のコードロン兄弟の兄ガストンも1882年、その後この兄弟シリーズで紹介する人物らは1884年生、1885生、1886年生など、要するに航空黎明期に活躍した人物たちには1880年代生キッズが大勢いる。

この年代に生まれた人たちが生きた時代を想像するのに参考になる例を探してみると、GHQのマッカーサーが1880年生まれであった。つまりブレゲ兄弟の兄もヴォワザン兄弟の兄も2度の大戦を経験し、第2次大戦を経た頃には我々が写真や映像で見るマッカーサーと同じ壮年の姿になっているという年代感覚である。ちなみに彼らが生まれた頃の日本とは、明治政府では西南戦争で西郷が、紀尾井坂で大久保が命を落とし、最初のリーダーたちから権力が次へと移って行き、また自由民権運動が盛んになってきた頃である。

さてヴォワザン兄弟に戻る。彼らは2代前から続く製錬所を営む家の息子たちであったが、1900年代初頭から飛行機設計も手がけていく。エルネスト・アルシュデックという当時の飛行機分野のパトロン(支援者・メセナ)の協力支援を受け設計・開発・製作が進められていった。

1905年にはルイ・ブレリオ(1909年にドーバー海峡初横断を成し遂げたことで著名。このよもやまコラム1番最初の記事に記述あり)とブレリオ・ヴォワザン社を設立する。その後ブレリオとの会社はやめにして、1907年にヴォワザン兄弟社をスタートさせ、それが上記でいうよう初の航空機製造メーカーとなる。そして第1次大戦終了まで、飛行機総合部門やエンジン製造、複数の部門で事業を展開し、大戦でも多くの航空機を販売することになる。

P190627 Blerio CNAM.jpg
しかし第1次大戦終了後、ヴォワザン・チームは航空機製造から撤退することとなる。そしてより事業的展望が明るいとみられた自動車製造・販売業に参入する。ただその自動車の製造・販売会社は社名、製品のブランドに「ヴォワザン航空機の自動車(Société des Automobiles Avions Voisin)」と銘打っていた。社名、ブランド名に「航空機」という文字が見える自動車とは少々奇妙だが、大戦で得たヴォワザン・マークの飛行機の知名度と飛行機の飛行速度の速さが自動車市場でのプラスのイメージに働くという考えだったのだろうか。また狙った市場は高級車、スポーツ車であった。

兄弟チームがあちこちに:航空黎明期(3)に続く

文:浜田ポレ 志津子(フラスペ)

No:Y20190626-02