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解説・特集COMMENTARY / FEATURE

アリアン・ロケット開発物語

アリアン・ロケット開発物語(3)イギリスのミサイル事情(1950年代後半〜60年代初頭の様子)

P20200820 Ariane1.jpg前回は、「宇宙科学部分で欧州協力の機運が高まってきたけれど、その中でロケット事業はやらないでおこう、という考えに向かっていった、けれど1962年にはロケット分野の欧州ロケット開発機構(ELDO)の設立に関する合意が署名されることになった」というところで終わりました。今回はその続きです。

現在のアリアン・ロケット・ファミリーへのイギリスの参加具合を考えると意外なことですが、欧州協力ロケットの実現のきっかけはイギリスの提案から始まりました。

イギリスは1954年の米英弾道ミサイル協力合意に起源して、アメリカのロケットダイン社のS3エンジンをもとにした、液体燃料ミサイル、ブルー・ストリークを開発してきました。ミサイル全体はデ・ハビランド社、エンジン(RZ2)はロールスロイス社が担当しています。

しかし、1960年4月、イギリス政府は開発がほぼ終了している状態だったこのミサイルの運用中止を決定します。アメリカから新たに2種のミサイル、スカイボルトとポラリスを購入しミサイル戦略に導入することにしたのです。ブルー・ストリークはこのアメリカのスカイボルトやポラリスに比べると既に時代遅れで使えないとみなされました。当時のミサイルに求められたものはより機動力がある移動式、あるいは潜水艦発射方式のものだったので、「ブルー・ストリークに燃料を注入している間にソ連のミサイルが到達してしまう」と揶揄的にも言われました。

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一方、宇宙戦略の分野ではイギリスはブラック・ナイトを用いて搭載機器を再突入させる技術を研究していました。衛星打上げ用ロケットとしてブルー・ストリークを下段にし、ブラック・ナイトの派生型を上段に据え、新たなロケット「ブラック・プリンス」として利用することでした。しかしこの計画は非実用的で、出費もかさむものだと疑問視されてきました。

そして、またまたブルー・ストリークの出番がなくなります。ブルー・ストリーク、せっかく開発・製造したのに余っちゃうよ、どうしよう、といった具合です。

次回につづく

文:浜田ポレ 志津子(フラスペ)

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