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解説・特集COMMENTARY / FEATURE

アリアン・ロケット開発物語

アリアン・ロケット開発物語(7) - イギリスの提案と乗り気でないフランス:進展のない1960年

P20200820 Ariane1.jpg前回まで、イギリスのブルー・ストリークの欧州化という案でイギリスが一番にそのプロジェクトに引き込みたかったフランスの様子について書きました。フランスでは、軍側では彼らのロケットプログラムを進めており、宇宙研究側では宇宙研究委員会(CRS)が宇宙分野のあれこれをまとめていく役割を持つ形になってきました。

今回は実際にイギリスがブルー・ストリークにおける強力について持ちかけてきた時のフランスの対応についての話です。1960年のことです。

当時イギリスのマクミラン首相の意を伝えるため活発に欧州を動き回ったのはピーター・ソーニークロフトという大臣でした。彼は財務大臣、航空大臣、国防大臣を連続して務めているのですが、この1960年は航空大臣のポストにいた時期です。

イギリスがフランスに持ちかけた最初の提案は、1段目にブルー・ストリーク、2段目にブラック・ナイト(これもイギリスのもの)の派生型を用いるものでした。これはイギリスが自国で衛星打上げロケットを作る場合に考えたシナリオの仕様と同じものでした。

01-3 rev Blue Streak copie.jpgフランス政府は宇宙分野のあれこれをまとめるようになったCRS宇宙研究委員会に見解を求めますが、CRSの主要な意見は「利はイギリスにだけあり、フランスにはない」というものでした。ただ、政治レベルの軋轢を考え(忖度し)、むげに断るわけにもいかないだろうと懸念し、いくつか条件をつけ検討の余地ありと返答します。

このフランスの留保を見たイギリスは、今度は「2段目をフランスが担当してもよい」と再提案してきます。

しかしこの再提案に対してもフランスの各方面での反応は反対がほとんどでした。1960年9月に開かれたCRS宇宙研究委員会では3つの懸念を挙げています。その懸念は、

1/宇宙研究予算がロケット開発に吸収されてしまうのではないか。
2/イギリスが行った開発予算の見積もりは少なすぎる。
3/ブルー・ストリークベースのロケットの打ち上げ能力は当時計画していた衛星には大きすぎる。というものでした。

また自分たちのロケットプログラムを進めていた軍側では、
1/まず自分らにはSEREB(弾道ミサイル研究製造会社:仏)で進める衛星打上げ用ロケット開発(宝石シリーズ)のプロジェクトがあり、その開始を第一に考えたい、
2/SEREBの技術を、ブルー・ストリークをベースにした欧州ロケットに使えば、いずれフランスから各国への技術移転の問題が出てくるのではないか

という点で反対でした。

さらにフランスの各方面は共通して、イギリスが提示した条件の「他国が参加しない限り予算は折半。他国が参加したら、残りを折半。」という条件は受け入れ難いものでした。

そんな中、少数派でしたが何らかの肯定的意見もありました。まず産業界です。産業界はこの協力事業から利益が得られるかもしれない、という考えです。一方、軍の中にも、フランスがあまり得意でない誘導などの技術を、アメリカの技術を導入したイギリスから獲得できるかもしれない、という考えがありました。

ただ、この誘導等の技術情報の点には疑問もあったようです。P20200904 RobertAubiniere.jpg

当時フランス軍で宇宙分野の重鎮であり、イギリス側の交渉担当としてやってきたRAE英国王立航空機関の訪問にもフランス軍DTIA航空産業技術局の責任者として対応していたオービニエール将軍は回顧インタビューの中で「イギリスは情報を開示すると言っているが果たしてそれが可能になるかは疑わしかった。何の情報も得ることはできないのではないかと疑っていた」と話しています。そして、「当時の担当大臣補佐も含めて皆でNonと言おうと決めていた」と語っています。


結局、英仏間で繰り返し話し合いが持たれましたが1960年の末になっても具体的進展はなく、年を越すことになります。

次回につづく

文:浜田ポレ 志津子(フラスペ)

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