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解説・特集COMMENTARY / FEATURE

アリアン・ロケット開発物語

アリアン・ロケット開発物語(2) - 科学研究分野での欧州協力の気運(1950年代後半〜60年代初頭の様子)

P20200820 Ariane1.jpg1950年代後半から60年代初頭にかけ、軍が牽引する宇宙分野の技術開発が続けられる一方で、科学研究分野での国際協力への動きがたいへん活発になってきました。

1959年、イタリア人物理学者のエドアルド・アマルディは「宇宙科学研究のために欧州が協力していける組織を作ろう」と提唱し、それ以降この考えは多くの欧州内の科学者の賛同を得ることになリます。国際宇宙ステーション(ISS) に燃料、必需品、実験機器などを運び、またISSの軌道修正の役目も担った欧州補給機(ATV)の3機目には、このアマルディの名がつけられています。


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翌1960年にはニースで第1回国際宇宙空間研究委員会(COSPAR)会議が開催されました。そして宇宙研究分野の協力に関する欧州宇宙研究グループ(GEERS)の結成、欧州宇宙研究準備委員会(COPERS)開催などもあり、これらが欧州宇宙研究機構(ESRO)の設立につながっていくことになります。

ここで注目すべき点は、これら欧州の宇宙科学研究の国際協力の方向性です。まずGEERSでは
1/新組織(ゆくゆくESROの形になっていく)が取り組むプロジェクトは参加国の国内プロジェクトと競合しないこと、
2/新組織はロケットをやらないこと、
という姿勢が決定されました。

この2つ目について、作っていこうとする新組織でロケットの開発、運用を外したかったのは、1つには欧州の科学者たちは平和の理念からその研究分野に軍事要素を介入させたくないという意向が強かったことがあります。そしてもう1つの大きな理由は、ロケット事業は各国政府が国防を絡めて管轄すべき分野だと考えられており、もし新組織の活動にロケット分野を含めた場合、新組織のロケット部門の運営は参加国の防衛政策、例えばNATOに加盟しているかいないかなどに影響されることになる、そうなるとNATOに加盟していない国々の科学者が参加できなくなるのでは、という恐れがあったからです。

さらにESROの準備会議となったCOPERS委員会では、
1/新組織の目的は科学研究だけとし、実用衛星はやらない、
2/衛星の打上げは市場にあるロケットを利用するか開発中の観測ロケットを用いる、つまり新組織ではロケット開発を行わない、という方針が決定されました。


このように科学分野での欧州内の協力体制作りが形成されていく中、ロケット開発だけは「欧州内の協力」という意味では取り残される形になりました。また、この頃、既にイギリスがブルー・ストリークを用いた欧州共同のロケット開発の話を持ちかけてきていますが(次回に詳細を紹介)、それに対しても各国は留保する状態でした。
つまり、この時期はまだ、宇宙科学分野に比べるとロケット分野の欧州内協力は宙ぶらりんで不透明な状態であったといます。

ところがこの2年後の1962年、欧州ロケット開発機構(ELDO)の設立に関する合意が署名されます。どういう展開があったのか、今後順次紹介していきます。

次回に続く

文:浜田ポレ 志津子(フラスペ)

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